千坂 尚義 Hisayoshi Chisaka

絵巻 色織

Emaki Iroori

素材:和紙、墨、日本画絵の具、その他
Washi, Sumi, Pigment of Japanesestylepainting, etc

私が作るのは「色織」と題をつけた絵巻物語です。数ある絵巻は全てひと続きの物語であり、古来日本で作られた源氏物語絵巻のような情緒性、信貴山縁起、玄奘三蔵絵のような主人公の武勇伝、冒険談、それらの流れを汲んで描いた主人公達の旅の話が綴られています。

作中では生物、無生物にはそれぞれ心の色が宿っていて、色彩はあらゆる形や物質=動植物や無機物と姿を変えます。例えば主人公は浅葱や群青、瑠璃色が煌めいて左腕が狛犬の腕に変わります。森羅万象に魂や神を見た古代の日本思想から引用したものの見方であり、主人公達は心の色彩の持つ無限の力を武器に、世のため人のために日々戦い世界を旅するのです。

ここでいう心の色彩とは、それが宿る当人と、形の変わる外界の生物・無生物との狭間を埋める媒体、もしくは繋げる扉を示します。当人は色彩の変化先であり、色彩の変化先は当人であり、外界と自己とが一体化、もしくは行ったり来たりの境目のない状況を作り出すのです。

生活の中でふと草木の色に違和感を覚えたり、空の色に不思議を抱いて見入ること、また町の喧騒の不快感の中に音楽や踊りなど楽しみを覚えて浸ること、こうした何気ない日常の中の非日常を感じた時、もしくは見知らぬ土地に懐かしさを感じて故郷を見るような非日常の中に日常を感じた時に、隔てられていた自己と外界が一体化しお互いが再認識されます。

日本において神や命のありかは宗教的な話に収まりません。山や川や小石や使い古した玩具に神や魂を見出して、感情移入したり、感謝したり、畏怖したりします。いつもある感情ではなく、生きていてふとした瞬間に開かれる扉の先で神や命を感じるのです。外界と自己との間で認識が変化するタイミングで両者の行ったり来たりや一体化が、生活の中で生じてきたのです。

巻かれた絵巻は折り目のない柔らかな紙が続きます。書と紙には墨と白があり、絵画の中には線の内と外があり、絵画と書には絵と字があり、作品そのものには非現実と物質という現実が存在します。また物語の中にも心の色という自己と外界の扉が描かれており、今並べた二つずつの概念は地と図との概念に置き換えて見ることが出来ます。ただし私の組み立てるそれらは、決してどちらかを地と図と決めつけはしません。地でもあり図でもあり得る絵巻の要素達がゆらゆらと続き、空間と眺める時間の中で鑑賞者の脳を地と図がいったりきたりします。行ったり来たりは一方通行の、普段我々がモノや概念に名前を付けて呼んでいるやり取りではありません。生活の中で認識の扉が開かれ神や命を知覚するように、自己と外界との相互認識が作品との間で現れるのです。

参照日本の絵巻1994 年、小松茂美編、中央公論社

岩田慶治著作集、1995 年、岩田慶治著、講談社