元井 康夫 Yasuo Motoi

声を発す

VOCALIZATION

素材:布のスクリーン、プロジェクター、布のヴェール、角材
Cloth screen, Projector, Veil of cloth

この作品は、言葉や歌以前の<声>による、原初的なコミュニケーションの実験です。

我々日本人は、自然を神とする原始的世界観を、基本的に持っています。これは絶対で唯一の神ではなく、八百万の万霊に取り巻かれているという世界観です。今でも、自然の中に、例えば森の中に入ると、万霊の気配を感じることはできます。しかしそれを、古代人のように、自分の神と呼べるほどの距離感に近づき接することは、今の私たちには難しくなっています。森に入って、かつて古代人が森を神と崇めたように接したいと思っても、そこには森と呼ばれる物理的実体があるだけで、啓示的な関係を享受させてはくれません。つまり、語りかけても語り返してはくれないのです。こうして我々は、森で自然に拒絶される感覚を味わうことになります。

ヒトは言葉を使うことによって今の文明を築いたと言うことができます。言葉により社会は秩序をもち、また、複雑で高度な思考も可能になりました。一方、言葉の規範に反する行動はとれなくなり、言葉にないものは想像することすらできなくなりました。今の世界は言葉の世界とも言えましょう。

森で感じた自然に拒否される感覚の遠因は言葉にあるのではないか。言葉の持つ合理性が、森という人の言葉を持たない存在とのコミュニケーションを阻害しているのではないか。だから森の神々も現代の我々の前には姿を表さないのではないか。言葉が生きているような私たちは、いろいろなことを知ってはいるがわからない、いろいろなものを見ているが見えない、世界を自分であるがままに感じることができない。そんな存在になってしまっているのではないでしょうか。言葉を離れねばならない、と私は思いました。

言葉と離れて森と触れ合うために、私は身体全体で森に当たりました。森に無言の礼拝を繰り返し、また、森に手を差し伸べて森の感覚を探り、あるいは森に流れる水に手を入れてその冷たさを確かめました。ある時、森の中で、私は一旦思考を止め、深く息を吸い、吐く息に載せて<声>を発してみました。その時、森の表情が変わりました。森の環境音と自分の声が混じり合い独特のアンビエントが発生したのです。一種のコミュニケーションが成立した様に感じました。

場には固有のアンビエントがります。アンビエントには様々な存在の波動が織り込まれています。アンビエントに<声>を合わせることで、既存のアンビエントのゾーンに介入し、アンビエントを変化さることができます。そのあり様を探るのが今回の実験です。

現代の世界は、言葉に頼りすぎて機能不全になっている様に思われます。言葉や歌以前の<声>によるコミュニケーションは現代の閉塞状況に穴を開け、別の未来の可能性に道をつけるものと考えています。